見とくべき場所 アウシュビッツ収容所 ~後編 もうひとつの収容所へ~
タンデムのパートナーがいないまま、ひとりでタンデムに乗って2週間ほど旅してて、
この町で誰か旅行者に会うかなと思ったものの、ぜんぜん旅行者いません。冬到来。山岳地帯極寒乙w
ってなわけで、こっからまたひとりで山越えして暖かいアドリア海を目指します。
※この記事には刺激の強い写真、個人的な意見が書かれています。
不快に思う可能性のある方は読まないでください。
アウシュビッツ収容所は、3kmほど離れた場所にあるビルケナウ収容所とセットで
「アウシュビッツ・ビルケナウ収容所」という世界遺産に登録されている。
アウシュビッツを見学した翌朝自転車で出発し、ビルケナウ収容所に寄ることに。

アウシュビッツ収容所のあるオフィシエンチムの町のホステルは快適。
オシャレで落ち着いたな内装、早いインターネット、おしゃべり好きで料理が下手な残念ガール有で10ユーロ。

農園や牧場が広がるのどかな風景の中にある、ビルケナウ収容所正面。
ヨーロッパ全土から電車に押し込まれ連行された人々はこの門をくぐる。

残っている建物は当時の1割程度ながら、アウシュビッツ収容所の数倍にもなる規模。

窓もない粗末な車両に立った状態でぎゅうぎゅうに押し込まれ、食料も与えられず一週間以上もかかることもあった。

現存している木造の収容棟。

中には3段の棚のようなベッドがあり、1段に5~6人がぎゅうぎゅう詰めになって収容されていた。

レンガ造りの収容棟はドイツが敗戦した時、兵士が残酷な収容所の実態を隠蔽するために爆破・破壊されている。

正面の門からまっすぐ入ったビルケナウ収容所の奥、電車の最終到着地点。
ヨーロッパ各地から送られてきた人たちはここで下ろされ、「選別」を受ける。

労働に耐えうると「選別」された者は収容所へ送られ、
労働に耐えれないと「選別」された老人や女性、子供はこちらに送られた。
建物はドイツ兵に破壊され残っていないものの、内部の様子は今も見て取れる。
階段を降りた部屋は脱衣部屋。
消毒するという名目で服を脱ぎ、次の部屋で裸になり戸が閉まると殺人ガスが送り込まれる。

ガス室の奥は焼却場。
焼却場を出たところの池に灰などが捨てられていた。
これら一連の殺人を流れ作業のように、いかに効率よく殺人・処理していくかということだけを考えた、「殺人工場」。

数百万人の命がここで失われ、各地の収容所から生きて出ることができた人は全体の1割。
もし自分だったら生きて出ることはできなかったんじゃないかと考えてしまう。
それとは逆に、
もし自分がドイツ兵で連行した人々を殺す側の立場だったら・・。
これは戦時下の話。
捕虜を不当に扱うことは禁じられているとしても、
虐殺に携わっていたドイツ兵も人の子で、上官の命令に従っていたに過ぎない。
その命令自体に狂気はあっても、戦争に慣れ、従うことに慣れ「殺人」を作業的にこなしていった人々を責めることはできるだろうか。
悪い歴史を繰り返さないため、保存されているこのような収容所。
しかし、ぼくが世界で一番好きな場所チベットの現状はまさにこれと同じではないのか。
そんなことを考えだすと頭の中にわだかまりがぐるぐる回りだす。

何にしても、
戦争が国際法に則った権利として認められていて、
世界中に民族問題は山積みで紛争は毎年のように頻発している現在。
ぼくたちの子孫の時代になって、21世紀は平和な時代だった言われることは決してないのだろう。
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