失恋しました ~前編~
1月27日 地上すべての光は失われ いまもぼくは 色褪せた世界を彷徨っている
ぼくのアイドル好きは中学生のころに始まった。
モーニング娘。のデビューを決めるCD手売り会に並んだのがはじめだと思う。
そこから歴々のアイドル、女優のタマゴ、セクシー女優など、さまざまなアイドルを推してきた。
そして2007年秋。 AKB48の広く、深い世界に足を踏み入れたところから、この物語は始まる。
当時のAKBはというと、トップアイドルへの階段に足をかけたくらいの頃で、
今では考えられないことに、前田敦子ですら世間一般の知名度は限なくゼロに近かった。
「マイナーなものを自分たちの応援でメジャーに押し上げていく」
これをヲタの最たる喜びとすると、このころのAKBはこれ以上ない素材だったはずだ。
しかし当時のぼくは、ブームが去って鳴かず飛ばずのモーニング娘。からAKBに乗り換えたばかり。
何ともいえないその後ろめたさが、正面をきってAKBを推すことを躊躇させていた。
そんな2008年の終わりごろ、旅に出る一年前、シングル「大声ダイヤモンド」が発売された。
後にAKBグループの転機となるそのシングルのジャケットには、
AKBメンバーではなく見たことのない美少女がなんと、単独で起用されていて、
ダンスのフォーメーション・PVにおいてもその美少女がセンターを務めるという異例の作品だった。
その美少女について、一般人か?新メンバーか?と、さまざまな情報が錯綜しヲタ界は一時騒然となったが、
彼女は当時11才、SKE48の松井珠理奈(以下 じゅりたん)であることが判明すると、
AKBメンバーを差し置いてセンターを奪ったじゅりたんを非難するAKBヲタも多かったが、
彼女の見せるキレキレのダンス、無垢な中に見え隠れする完成された美しさには否応なしにヲタを魅了した。
そういうぼくも、じゅりたんに魅了されてしまったひとりだ。
しかしこの曲が輝いていたのはじゅりたんだけではなく、
学園ストーリー仕立てのPVはこれまでの楽曲とは明らかに違う次元の完成度だったし、
同じフレーズを繰り返すシンプルな歌詞と疾走感あふれるメロディー。
いわゆる「アイドル」の壁を突き破り、AKBが次の段階に入ったことが否応なしに見て取れた。
そしてそれを裏付けるように次の11thシングル「十年桜」、12th「涙サプライズ!」と、ネ申曲とも呼ばれるシングルが続く。
これらは曲のよさだけではなく、とくにPVの完成度が高かった。
曲が始まる前からのドラマ仕立てで、青春の爽やかさとそして感動があった。
日勤夜勤の力仕事が週ごとに繰り返される住み込み生活中、
辛い仕事の合間に何十回、何百回とこれらのPVを見返し、何度も泣いた。
この3曲が契機となり、ぼくはすべてのシガラミを捨て、なりふり構わずいちAKBヲタとしての道を歩き出したのだった。
しかし、ぼくとAKBの蜜月は長くは続かない。
大声ダイヤモンドからAKBシングルの売り上げは右肩上がり、
TVでは冠番組が始まり、一般にもAKBが浸透し始めていた。
秋葉原での劇場公演は常に満員状態。 チケットは事前申し込みの抽選方式になり、
数少ない上京のチャンスに申し込んでみても、一度もチケットが当たることはなかった。
劇場に会いに行くことが一度もできないまま、2009年8月、ぼくは自転車世界一周に旅立つことになった。
カナダ・バンクーバーから自転車をこぎ始めると、物価が高いので基本的にキャンプ生活を送っていた。
インターネットにつなげる機会はなかなかなく、たまに接続したときも、メールの送受信、
ブログの更新等があり、ゆっくり腰を据えてAKBと触れ合うことができなくなっていった。
半年ほどの時間をかけ北米大陸を南下し、旅の2ndステージである中米に入ると物価が一気に下がった。
宿でゆっくりする時間が増え、ベットで寝転んでひと晩中ROMる(ネットする)時間が持てるようにはなったが、
そのころのAKBには初期メンバーの卒業やSDNへの移籍、5~7期生の昇格と台頭、
そして組閣祭りでのチームシャッフルという大イベントが相次ぎ、
正規メンバー中に10人以上も、ぼくの知らないメンバーがいるという、
もはやヲタと名乗ることに抵抗を覚えるような状況に陥っていた。。
しかしそんな状況もさらに加速度をあげ、ぼくとAKBとの距離は勢いを増して開いていく。
インターネットに繋ぐ度に必ず、yahooやmixiのトップ画面でAKB関連のニュースを目にするようになったのだ。
CDの売り上げ等の海外で得られる情報から考えても、明らかにステマ(ステルスマーケティング)報道だと感じてはいたが、
その戦略は海外を旅するバックパッカーたちの間にも着実に「AKB」の名を広げていて、
日本にいる人の間でのAKB熱がいったいどれほどなのかをまったく掴むことができなかった。
どうせステマだろ。
ステマだよな?
ステマ・・・ なのか??
2010年、ぼくが南米に入った頃にはCDの売り上げは軒並みミリオンセールス。
紅白歌合戦にも3度目の出場を果たし、ソロ・ユニット活動も活発になった。
その年の大晦日、パラグアイのペンション園田で海外放送のNHK紅白歌合戦を眺めながら、
もはやAKBはぼくの手の届かない存在になってしまった・・。そう感じていた。
ニュースで流れてくる彼女たちの肩書きはいつしか「地下アイドル」から「国民的アイドル」へと変わっていた。

つづく
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ぼくのアイドル好きは中学生のころに始まった。
モーニング娘。のデビューを決めるCD手売り会に並んだのがはじめだと思う。
そこから歴々のアイドル、女優のタマゴ、セクシー女優など、さまざまなアイドルを推してきた。
そして2007年秋。 AKB48の広く、深い世界に足を踏み入れたところから、この物語は始まる。
当時のAKBはというと、トップアイドルへの階段に足をかけたくらいの頃で、
今では考えられないことに、前田敦子ですら世間一般の知名度は限なくゼロに近かった。
「マイナーなものを自分たちの応援でメジャーに押し上げていく」
これをヲタの最たる喜びとすると、このころのAKBはこれ以上ない素材だったはずだ。
しかし当時のぼくは、ブームが去って鳴かず飛ばずのモーニング娘。からAKBに乗り換えたばかり。
何ともいえないその後ろめたさが、正面をきってAKBを推すことを躊躇させていた。
そんな2008年の終わりごろ、旅に出る一年前、シングル「大声ダイヤモンド」が発売された。
後にAKBグループの転機となるそのシングルのジャケットには、
AKBメンバーではなく見たことのない美少女がなんと、単独で起用されていて、
ダンスのフォーメーション・PVにおいてもその美少女がセンターを務めるという異例の作品だった。
その美少女について、一般人か?新メンバーか?と、さまざまな情報が錯綜しヲタ界は一時騒然となったが、
彼女は当時11才、SKE48の松井珠理奈(以下 じゅりたん)であることが判明すると、
AKBメンバーを差し置いてセンターを奪ったじゅりたんを非難するAKBヲタも多かったが、
彼女の見せるキレキレのダンス、無垢な中に見え隠れする完成された美しさには否応なしにヲタを魅了した。
そういうぼくも、じゅりたんに魅了されてしまったひとりだ。
しかしこの曲が輝いていたのはじゅりたんだけではなく、
学園ストーリー仕立てのPVはこれまでの楽曲とは明らかに違う次元の完成度だったし、
同じフレーズを繰り返すシンプルな歌詞と疾走感あふれるメロディー。
いわゆる「アイドル」の壁を突き破り、AKBが次の段階に入ったことが否応なしに見て取れた。
そしてそれを裏付けるように次の11thシングル「十年桜」、12th「涙サプライズ!」と、ネ申曲とも呼ばれるシングルが続く。
これらは曲のよさだけではなく、とくにPVの完成度が高かった。
曲が始まる前からのドラマ仕立てで、青春の爽やかさとそして感動があった。
日勤夜勤の力仕事が週ごとに繰り返される住み込み生活中、
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この3曲が契機となり、ぼくはすべてのシガラミを捨て、なりふり構わずいちAKBヲタとしての道を歩き出したのだった。
しかし、ぼくとAKBの蜜月は長くは続かない。
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秋葉原での劇場公演は常に満員状態。 チケットは事前申し込みの抽選方式になり、
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カナダ・バンクーバーから自転車をこぎ始めると、物価が高いので基本的にキャンプ生活を送っていた。
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半年ほどの時間をかけ北米大陸を南下し、旅の2ndステージである中米に入ると物価が一気に下がった。
宿でゆっくりする時間が増え、ベットで寝転んでひと晩中ROMる(ネットする)時間が持てるようにはなったが、
そのころのAKBには初期メンバーの卒業やSDNへの移籍、5~7期生の昇格と台頭、
そして組閣祭りでのチームシャッフルという大イベントが相次ぎ、
正規メンバー中に10人以上も、ぼくの知らないメンバーがいるという、
もはやヲタと名乗ることに抵抗を覚えるような状況に陥っていた。。
しかしそんな状況もさらに加速度をあげ、ぼくとAKBとの距離は勢いを増して開いていく。
インターネットに繋ぐ度に必ず、yahooやmixiのトップ画面でAKB関連のニュースを目にするようになったのだ。
CDの売り上げ等の海外で得られる情報から考えても、明らかにステマ(ステルスマーケティング)報道だと感じてはいたが、
その戦略は海外を旅するバックパッカーたちの間にも着実に「AKB」の名を広げていて、
日本にいる人の間でのAKB熱がいったいどれほどなのかをまったく掴むことができなかった。
どうせステマだろ。
ステマだよな?
ステマ・・・ なのか??
2010年、ぼくが南米に入った頃にはCDの売り上げは軒並みミリオンセールス。
紅白歌合戦にも3度目の出場を果たし、ソロ・ユニット活動も活発になった。
その年の大晦日、パラグアイのペンション園田で海外放送のNHK紅白歌合戦を眺めながら、
もはやAKBはぼくの手の届かない存在になってしまった・・。そう感じていた。
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つづく
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| 一時帰国 2011~2012 | 19:22 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑
うける!
アイドルとか、チョー興味ないんだけど、よしくん文章うまいんで思わず読んでしまう。あーよかった。うちの子、犯されなくて(笑)(>_<) 日本楽しんで!
| naomileee | 2012/02/26 07:07 | URL |