自転車旅を始めたきっかけと、世界一周のきっかけをくれた人。
ぼくが自転車に乗れるようになったのは友人たちの中で一番遅い、小学五年生のときのこと。
そして、その後すぐに自転車での旅を始めることになる。
そのころのぼくは女の子にも「タコ」という、情けないあだ名で呼ばれていて、
それが運悪く親父にバレ、激怒した親父がぼくにこう言った。
「お父さんは小学五年のときに自転車で和歌山まで行って一日で帰ってきた。お前も行って来い」
そんなわけで、自転車に乗れるようになったばかりで、和歌山城までの往復120kmに挑戦することになった。
一度目は半分も行かずに断念し、二回目は友達と一緒に挑み、泣きながらもやり遂げた。
その翌年にはユースホステルに2泊しての琵琶湖一周旅行。
中学に入って、阪神大震災の時に大阪から神戸、セアカゴケグモが発生したときはひと目見ようと大阪府南部へと、
友達を率いて自転車旅を繰り返すようになり、高校一年のときには、大阪-東京間を一週間かけて走った。
こういう話をすると、昔からスポ-ツ少年だったんですねと言われるけど、
むしろそういうのとは縁遠い、運動音痴でスポーツ刈り(ここ大事)の、クラスでも目立たない子供だった。
ついでに背は前から3番目だったしムチムチに太っていて、貴花田に激似していた。
そんな、人に誇れるようなものが何もないぼくにとって大阪-東京自転車旅は大きな自信になっていて、
夏休みがあけた時、当時好きだった女の子にかっこうをつけて旅の話をしていた。
しかし、天狗になって調子よく話すぼくに彼女はあっさりとこう言った。
「小学生でも自転車で日本縦断してるよね?」
当時夏休みのワイドショーに、自転車日本縦断に挑む小・中学生を追うコーナーが毎年あったのだ。
彼女のひと言で天を突くほど伸びていたぼくの鼻はボッキボキに折れ、
それこそタコのように真っ赤な顔をしたぼくは苦し紛れで、
「じ、じ、、じつは!! 次の夏休みに日本一周しようと思ってんねん・・・」
苦しかった。言ったそばから後悔してた。言いながら舌噛んでどうにかなってほしかった。
厨二病になるほどの男気も妄想力もない、ましてや日本一周なんて考えたこともなかったのに、
言うなよ、言うなよ、絶対言うなよ!!そう頭で考えながらもぼくは饒舌に、
次の夏に始まるらしい壮大な計画を語っていたのだった。
そういうわけで、やりたくもないのに自転車で日本一周することになってしまった。
正直な話、当時は自転車で旅をしていても楽しいと思うことは一度もなかった。
それでも旅を繰り返していたのは、旅の話を鼻高々で友達に語っているうちに、
辛かった思い出が美化されて楽しかったことのように思えてきて、次はもっと遠くへ・・と辛いまま繰り返していた。
運動の経験も体力もないぼくにとって自転車をこぐことは苦行でしかなく、
旅を終えて大阪に帰る、それだけを考え続けながら毎回ペダルを踏んでいた。
日本一周が始まったのものの、全身のひどい筋肉痛や、
ヤンキーにカツアゲされないかという恐怖に、昼夜関係なしに涙を流していた。
テントを張っても満足に眠ることができず、夜も明けない早朝3時ごろには荷物をまとめ、やみくもに走り出す。
一日に15時間以上、意識が朦朧としながら自転車をこぎ続けていた。
そのころのぼくは出会いを求めて人に話しかける様な性格ではなかったし、
自転車をこいでいても景色を眺める余裕もなく、観光地にもほとんど寄ることをしなかった。
それを物語るように、スタートした九州で数枚写真を撮った後、
新潟の親不知で一枚撮ったきりで、北海道に入るまでの長い間まったく写真を撮っていない。
そんな苦しいだけの日々を繰り返し、九州・四国・本州を走り抜け、
青森県八戸で、ラストステージ北海道に渡るためのフェリーを待っていた。
フェリー乗り場は夏休みに北海道を走るバイカーでいっぱいで、
ぼくはたくさんの大人たちに囲まれ、高校生日本一周はすごい!と褒められまくっていた。
それまでの道のりで他の旅行者と出会うことはなかったし、
人にちやほやされるということ自体、ぼくの人生では初めての経験で、
優勝インタビューを受ける貴花田のような気分で調子よく受け答えをしていた。
その最中にふと、ぼくの周りの人垣の向こうにもうひとつ、バイカーの集まる輪があるのを見つけた。
その中心には、おもしろいくらいに過積載のオフロードバイク。
ヘッドライトにはピカチュウのお面が被さっていて、
そのかわいさにはまったく似合わない、髭のたくましいガッチリとしたお兄さんがそのバイクの所有者らしかった。
フェリーが乗船を開始し、乗り込み落ち着く場所を確保したぼくに、さっき見た髭のお兄さんが話しかけてきた。
ぼくの旅の話をひとしきり語った後、お兄さんはどこを旅されてきたんですか?
と尋ねてみると、髭のお兄さんは旅のアルバムをとり出して「長いこと旅をしてるんだよ」とだけ語った。
日本の景色なんてぜんぶ知ってんだぜ!と、
みんなにちやほやされ、晴れて厨二病感染初日を迎えていたぼくは、
アルバムを開き、そしてその瞬間、言葉を失った。
地平線まで見渡せるだだっ広い大荒野。その中をどこまでも続く一本の道。
そしてぽっかりといくつか雲が浮かんだ空の青さは、絵の具のように濃厚だった。
こんな「青色」見たことない・・・
それまでの旅で山、海、町、たくさんの物を見てきたという自負があったけど、
あんなに「青い空」はぼくの記憶にはなかった。
他の写真もたくさん見せてもらったけど、最初に見た空の青さで頭はいっぱい、
「これはどこなんですか・・」と小さく震えながら尋ねるのが精一杯だった。
「かちかち山のマサ」と名乗った髭もじゃのお兄さんは、何年もかけたバイク世界一周のしめくくりに日本を走っている最中だった。
自分の力で世界一周する人がいることは、自転車雑誌に掲載されていたエミコさんで知っていたけど、
リアルに世界一周している人と会えるなんて・・。
そしてその世界一周という肩書きもさることながら、マサさんという人の魅力に、ぼくはさらに引きつけられた。
次々とおもしろい話が飛び出し、とんでもない出来事でもガハハっと男らしく笑い飛ばす。
髭もじゃの笑顔も優しく、人の話をじっくりと聞く。
ぼくも、周りのバイカーたちも、ほんとうにみんながマサさんに惹きつけられていた。
フェリーが着いた苫小牧港でキャンプするつもりだったぼくは、マサさんと離れてしまうのが寂しく、もっと話を聞いていたくて、
マサさんが泊まる予定のユースホステルまでついて行き、ひと晩一緒にすごさせてもらった。←なんかエッチ(笑)
その出会いがあまりにも衝撃的過ぎて、YHで覚えていることはひとつしかない。
ウトナイ湖畔にたつYHにチェックインするとき、宿のスタッフが見当たらず、
幼稚園の年長さんくらいの男の子がひとりロビーで遊んでいた。
大人の人を呼んできて。と頼むとその子は、大人顔負けの接客でぼくらを座らせておき、オーナーであるお父さんを呼びに行った。
一人前の大人として見てもらいたい背伸びをする年頃なのか、
逆に言うとちょっと子供らしくないくらいに、その子はしっかりしていた。
子供と話すのが苦手だったぼくは、滞在中、少しやりにくさを感じていたくらいに。
しかしマサさんはしゃがみこんでその子と同じ目線で話し、
その男の子もマサさんの前では無邪気な「子供」に戻って全力でじゃれついていた。
ただ子供といっしょになって遊んでいるだけではなく、
子供が調子に乗っていけないことをした時にはしっかり叱って、
なぜ怒られているかを分からせるという事をしていた。
なんてカッコイイ大人や・・。ぼくもこんな大人になりたい!
そんなマサさんに対する憧れのような「すごい人」という言葉に出来ないイメージは、
自転車雑誌で読んでいたエミコさんにも感じていたもので、
エミコさんのことを話してみると、なんとマサさんは海外でエミコさんに出会っていた。
それを聞いてひらめいた。
そうか、、世界一周をすればこんなデカイ人になれるのか。
いつかぼくも世界一周をして、ぼくという人間のレベルを上げなければいけない。
それをしないまま、人間レベルの低いままで働き、年を重ねて死んでいくなんて、
人生を無駄遣いするようなこと。
人間の魅力なんて何をしていても結局その人しだいなんやけど、この時のぼくはただ漠然と、そう考えていた。
マサさんとすごしたのはたった一日か二日だけだったけど、この出会いからぼくの旅は変わった。
それまでの3週間の旅では人に道を聞くこともできなかったし、
誰かが話しかけてきてくれても恥ずかしくて目もあわせず聞かれたことに答えるくらいだった。
明日の天気は良いですかとか、この先に坂道はありますかとか、
そんなちょっとしたことを付け加えるだけで会話は広がり、出会いになっていく。
旅というのは目的地に行くためのものでなく、そこに至るまでの道のりを楽しむものだと知った。
北海道の旅はほんとうに楽しかった。
他の旅人と仲良くなったり、ホームレスのおっちゃんたちと宴をしたり、
地元の人の家に招待して泊めてもらうこともあった。
そういう楽しみが出来るようになると、辛かった上り坂の辛さは半減する。
この坂の向こうには何がぼくをまっているんだろう。
そう考えると、自転車をこぐのが楽しみでしょうがなかった。
マサさんに出会って学んだのは旅の方法だけではなく、人との接し方だった。
その出会いと旅を通してぼくの性格は自分でも分かるくらいに変わったし、
今となっては、人生の方向性までが大きく変わった。
「自信」とはえらいもので、ぼくに成長期をつれてきてくれ、ちっちゃくて丸かったのがウソのように背も伸び脂肪もとれ、
日本一周で髪の毛が伸びたのを期に、17年間慣れ親しんだスポーツ刈りに別れを告げ、髪の毛を染めたりもしてみた。
すると自然に友達も増え、他のクラスにまで友達ができ、さらには彼女もできた。
今のぼくのモテモテ人生があるのは自転車旅のおかげであり、マサさんのおかげであるのだ。
そんな貴重な出会いから10年の時が流れた、2009年。
世界一周の準備をしていたぼくは、なんとかしてマサさんに伝えたかった。
あれから10年たってぼくも世界一周に旅立ちますと。
しかし、苫小牧でマサさんと別れるとき、アドレスの交換をしていなかった。
ほんとうに出会いたいと願えば、自然と出会うことが出来る。マサさんがそう言ったから。
当時の日記を繰ってみても、インターネットで「かちかち山のマサ」を検索してみても、
マサさんにつながるものはなく、連絡をとることができないまま、旅は始まった。
南米を旅していた2011年の年明け。
闘病されているエミコさんのブログに思うところがあり、初めてコメントを残すことにした。
ふと、10数年前にマサさんがエミコさんと出会っていたということを思いだし、
不思議な縁だなと思いながら、マサさんがきっかけで今旅をしてることもコメントに付け足しておいた。
それから数ヶ月たって、ぼくのブログに知らない人からの書き込みがあった。
エミコさんのブログから来ました。私も18年前にバイクで旅をしていて同じ道を走りましたよ。と。
はじめましてありがとうございます~ と返事をするとさらに、
はじめましてかな・・? 昔、旅をしていたとき「かちかち山のまさ」と呼ばれていました。の書き込み。
・・・!!
こうして、エミコさんを通してぼくとマサさんは12年ぶりに繋がることができた。
今のぼくの性格や人生の方向に大きな影響を与えてくれたマサさん。
日本に帰ったらすぐに会いに行こうと思っていたけど、まだ会いにいけていません。
もうちょっとちゃんとしてから会いに行きたいなと思い、ズルズルと・・。
でも、普通に生きていても何が起こるかわからないようなぼくらの人生。
近いうちにマサさんに会いに行こうと思っています。

マサさんとの写真は12年間変わらず、ぼくの部屋に飾られている。
だいぶ色あせてしまったけど、われながらいい顔をしているなと思う。
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| 一時帰国 2011~2012 | 23:21 | comments:7 | trackbacks:0 | TOP↑
メチャクチャいい話やん!!
確か旅の途中でも書いてたいね!?
早く会ってまた熱い夜を過ごしてこいよ(なんかエッチ)
| おれ佐藤 | 2012/04/19 03:59 | URL |